「西堀ローサ」解散検討

新潟市の地下商店街「西堀ローサ」を運営する、第三セクター・新潟地下開発が事業の継続を断念し、再来年に会社を解散する方向で検討している事を今朝の新潟日報の記事で知りました。西堀ローサと言えば、今年の夏に空調機が壊れ交換部品も無いくらい老朽化している事が話題となりました。

西堀ローサのOPENは1976年(昭和51年)とありますので、私と同じ年ですのでOPENから47年となります。そもそも1970年代の自動車の大幅な普及により、新潟市の中心街古町の駐車場が大幅に不足する懸念から、地下駐車場を造る計画が立てられ、せっかくの地下空間だから地下街も作ってはどうかという意見が寄せられたのをきっかけに計画が変更され、地下1階に地下街が、地下2階に駐車場が整備された歴史があります。

ピーク時の1991年(平成3年)度の総売上高は約50億円を記録したのを境にバブル崩壊、プラーカやビルボードプレイスなどの競合店舗OPENの影響などにより、年々テナントも減少し売上の減少に歯止めがかからなくなったとあります。

新潟三越とも直結する地下街でしたので、食料品売り場を利用する際の通路などには使われていたのだと思いますが、新潟三越閉店後にはその需要も無くなり厳しい状況が続いていたのだと思います。昭和生まれの新潟市民としては、なんとなく寂しい気持ちのするニュースでした。

バブル崩壊、消費税導入、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、銀行破綻、米国同時多発テロ、イラク戦争、リーマンショック、東日本大震災、アベノミクス、米中対立、コロナ、ロシアウクライナ戦争、パレスチナ問題。

時代の転換点の大きなうねりの中でどのような立ち位置でいる事ができているのか。事業というのは実力や自助努力以上に「運」の導きの風に乗れるかもかなりの要素を占めているとも常々感じております。西堀ローサも決して努力を怠っていた訳ではなく、集客の努力を継続していた事は間違いないと思います。ただ時代の大きな流れに乗っていた時もあったが、いつしか乗れなくなってしまっていたし、気付いた時には手遅れ感があったのだと思います。

事業の撤退の決断は企業であれば経営トップにしかできません。今起きている事実と未来予測を見極め、致命傷を負う前に事業の選別と集中を見誤らないように心掛けたいと考えさせられたニュースでした。