住宅販売会社、じり貧の破綻
戸建住宅販売を手がけていたガクエン住宅(東京・葛飾)が9月10日に関係会社とともに東京地裁へ自己破産を申請した。ピーク時の年商は100億円近くに達し、これまでの新築分譲住宅供給数は5000棟を超えていた。勢いを失ったきっかけは、実権を握っていた創業者の死去だった。と日経記事にあります。
同社は1984年、不動産会社の営業部長だった中根讓二氏が独立して創業した。「3倍働き、3倍奉仕する」をモットーとして、積極的に土地を仕入れて、事業を拡大させた。創業から数年間はバブル景気の時期と重なったこともあり急成長。86年5月期に19億9500万円だった年売上高は91年5月期には78億8500万円にまで増加した。
バブル崩壊後の年売上高は変動はあったものの、大きな落ち込みはなく、黒字決算が続いていた。97年ごろからは注文住宅の請負も開始し、2002年5月期の年売上高は92億1900万円とはじめて90億円の大台に乗った。
変調は08年のリーマン・ショックからだ。不動産価格が下がり、開発用地の取得と物件販売が進まなくなった。10年5月期の年売上高は64億4600万円にダウン。その後も売り上げが回復することはなかった。新型コロナウイルスの感染が拡大した20年、経営を揺るがす事態が起きる。創業社長の中根氏が体調を崩し入院したのだ。ガクエン住宅、コスモ建設ともに中根氏が資金繰りを担い、営業面も中根氏の手腕に頼っていたため、信用低下が懸念されるようになった。
入院が長引くなか、中根氏の子息が22年に社長に就任する。コロナ禍が収束に向かい始めると不動産取引は活発になったが、建築資材や人件費の高騰が進み、収益悪化が続いた。中根氏は24年4月に死去。24年5月期の年売上高は35億9500万円にまで落ち込み、最終損益は5億9300万円の赤字と初の赤字決算となった。資金繰りが悪化するなか金融機関から融資を受けて乗り切ろうとしたが、既に借入金は13行から計25億400万円に上っており、新規融資は不調に終わった。
営業出身の社長は経営を軌道に乗せ成長するスピードが速い傾向にあると考えておりますが、まさにその事例だと感じました。社長の営業力に頼りきりの組織構造となってしまっていた事に加えて、後継者育成を怠った為に、時代の変化に対応していく事が出来なかった。破綻への過程はいろいろあったのだろうと思いますが、結果としてはシンプルにそういう事なのだろうと理解致しました。
この破綻事例は、多くの中小企業・中堅企業に当てはまる事であり、私自身にも当てはまる心当たりが大いにあります。あってはならない事であり、そうならないように今から準備を進めていこうと思います。